川魚卸し・加工・販売

うなぎの食文化を守っていきたい。


株式会社 鯉平

小野寺 光樹さん 39歳

Onodera Kouki


出身学校 所沢市立安松中学校
埼玉県立所沢中央高等学校 卒

どんなお仕事?

メインの仕事は、生産地にある問屋さんからうなぎをはじめとした川魚の仕入れをしたり、お客様である料理屋さんと直接やり取りをして、仕入れた川魚を販売することです。お客様は、うなぎの専門店がほとんどで、あとは懐石料理屋ですが、最近では居酒屋でうなぎ料理を出すのが流行っていることもあり、そういったお店ともやり取りをしています。 実際にうなぎを裂くこともあります。うなぎは産地や池ごとに特徴が違っていて、お客様の好みに合わせて、仕分けて出荷する必要があります。見たり、触ったりするだけでわかることもありますが、裂くことで感じ取れることも多いですし、実感したことをお客様にお話しすることができるので、信頼にもつながると思っています。

やりがい

毎日うなぎを仕入れて、毎日出荷しています。一日一日が勝負の仕事です。お客様も毎日仕込みをして、営業されていますので、一日くらいうなぎが届かなくていいなんてことはありません。特に専門店だとメニューはうなぎだけ。私たちが注文を聞きそびれてしまったり、配送が遅れてしまうとお客様がいつも通りに開店できなくなってしまいます。また、扱っている商品が生き物であるために発生するトラブルもあります。まさに毎日が真剣勝負!でもそれだけやりがいもあります。お客様から「いいうなぎをありがとう」「いつも助かってるよ」と声をかけてもらえることは、何より嬉しいです。

埼玉の名物として

今では職人さんも高齢化してしまい、うなぎが裂けなくなったことで店をやめてしまう人もいます。弊社では加工してから出荷しているうなぎもありますが、この状況のままにしていたら、専門店自体がなくなってしまいます。専門店があってこその仕事ですし、うなぎを食べるこの文化について、今後も守っていきたいと思っています。そのために、今まであまり興味のなかった新しい人たちにも興味を持ってもらいたいです。「おいしいから」でも、「好きだから」でも、「うなぎ屋って儲かるかも!」でも、きっかけは何でもいいと思います。そのためには、お客様にもっと魅力的なお店になってもらわないといけない。私たちはそのお店作りのお手伝いを通して、この食文化を守っていきたいと思っています。

◆埼玉でうなぎが食べられるワケ

埼玉でうなぎが食べられるようになったのは、なんと江戸時代から!当時、浦和や川越付近は川や沼地が多く、うなぎをはじめとする川魚が多く生息していました。豚などの肉食を禁じられていた時代だったため、周りに海のないこの地域では貴重なたんぱく源となっていたのが、この川魚でした。大正時代には都市開発が進んだことから、地場のうなぎは姿を消してしまいましたが、江戸時代から続くこの食文化はお店や地域の方々の努力によって守られ、今も愛されています。

 
住所 〒337-0004 埼玉県さいたま市見沼区卸町1-23
設立 1952年
従業員数 115名
URL https://www.koihei.co.jp/

川魚の卸売り・加工・販売に携わってきた専門企業
明治30年の創業以来、鯉やうなぎ等の淡水魚の加工・販売に携わってきました。川魚は生きたまま運ばなくてはなりません。「鮮魚」ではなく、さらにその上の「活魚」。これが川魚問屋の最大のこだわりです。直営店『かのうや』では、お客様の健康長寿を叶えたいという想いのもと、古来より伝承される優れた日本食「川魚料理」を提供しています。

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